普通が分からなかった私の生い立ち~学生編~

私の普通ってズレてるのでしょうか。

お酒の席での会話やツイッターなどで見る「子供の頃あるある」や「学校あるある」が、私にはほぼ共感できない。

生まれたところは青ヶ島。

人口170人の村。

4人兄弟の長女。

幼い頃は大人しくいつも1人で遊んでたそう。

人見知りだったと思う。

保育園からの同級生は自分を含めて4人。

自分以外はみんな男の子。

小学生の頃、同級生の1人は気まぐれに私を無視したり仲良くしたり、意地悪を言ってきたりする子だった。他の子を無視することもあった。

私には母という強い味方がいて、あんなの気にするなと言われていたのでそんなに気にしてなかった。

まあ私にも悪いところがあるんだろう、そう思ってた。

イジメについての作文を書く授業があった。

私は“いじめられる方にも問題がある”と書いた。

先生に呼び出されてそれは違うよと、言われた。

おそらく私が意地悪されていた事はその先生は知らなかったので、なんて非情な子なんだと焦っただろうな。

いじめられる方が悪いんじゃない。

それならなんで私は意地悪されたのか。

私に非がないのにいじめられていたなら、理不尽すぎる。だから当時の自分は私が悪いのだろうと自分の気持ちに折り合いをつけていたのだと思う。

でも本当に私はいじめによるダメージを受けていなかったと思う。なんなんだアイツ、くらいにしか思ってなかった。

それに他の子と仲が良かったし、上の学年に女子が2人いて、いつも味方だったし強かった。

島の子供は学年関係なく友達になる。

小学生の頃に悩んだ記憶がない。

きょうだいが3人も居たし、賑やかで本当に愛情をたくさんもらっていたからだと思う。

中学生の時に、お互いの長所と短所を言い合おうという授業?があった。

その時に1番仲の良い同級生に言われた私の短所がずっと忘れられない。

『思った事をそのまま口に出しすぎる。』

本当に衝撃だった。私ってそうなんだ、気をつけようと思った。

(やっぱり意地悪されたのはわも問題があったのだろうか)

運動は苦手だったかも、でも今思えば同級生男子のみだし早生まれだし苦手にも感じるわな。

中学生の頃はL’Arc〜en〜Cielに夢中だった。

あと椎名林檎。

東京で買ったcutieとZipperを隅々まで読んで、モデルに憧れて背が伸びるよう毎日ジャンプしてた。

CLAMP(特にレイアース)大好きで漫画家になりたくて夜中まで絵を描いてた。

進路を決める頃、モデルも漫画家も現実的ではないので服飾の勉強をしたいと決めた。

大学に服飾の学科がある総合学園の高等部に進路を絞った。

幼稚部から大学院まである女子校。

学校見学に行った時に生徒たちの雰囲気が良かったのでそこに決めた。

(今思えば金額の事を考えず、絶対ここが良いと私立の女子校を選んでしまって親には申し訳なかった)

入学祝いにミシンを買ってもらい、本を見ながらスカートを作ったりしていた。

入学してすぐに友達ができた。

100人友達作りたいと本気で思っていた。

私が知らない子に笑いかけたり話しかけるので、友達に「変な子だと思われるからやめなさい」と教えられた。

実際に変な子だと思われてたと思う。

でも仲良くなると、最初は変だと思ったけど良い子だね、と言ってもらえた。

クラスにラルク好きな子が2人も居て嬉しかった。GLAY派ももちろんいた。

女子は友達をトイレに誘う。連れションというやつ。

初めて連れションに誘われた時私の頭の中はハテナでいっぱいだった。

どうしてトイレに一緒に行くのか、トイレはむしろ1人で行きたいところじゃないか…

仲良くなったら固定のグループになり、お揃いの物をつける。

それも初めての事だった。

なぜ…と思ったけど友達と初めてのお揃いは嬉しかった。

2人組、3人組、4人組、仲良しグループはメンバーが決まっていて、一緒に帰宅するのも約束されているようだった。

私は皆んなと仲良くしたかったから昼ごはんも帰宅も固定したりしなかったり自由にした。

そんな中でも1番気が合ってほとんど一緒に過ごす友達ができた。今でも大好きな友達だ。

高校2年の夏には読む雑誌はZipperからeggに変わっていた。夢中だった服作りは辞めてミシンにも触れなくなり、肌を焼いていた。

肌を焼いていたギャル達のうちの何人かは学校を辞めていった。

私は島から盛大に送り出され、一人暮らしの家賃や仕送りを送ってもらっているし、4人きょうだいの長女で私がコケたら絶対にいけないという気持ちがあった。だけど思春期ってとてつもなく眠くて、遅刻や欠席が続く時期もあった。補習や友達、先生のサポートでなんとか卒業した。

結果的にこの高校を選んで本当に良かった。色んな子がいて、どんな子も共存していた。

最近になって見かけるスクールカーストというものが私にはピンとこない。思い返してもそんな風に感じた事はなかった。本当にあの学校に行けて良かった。

私が気付かなかっただけなのかもしれないけど。

高校卒業後の進路を決める頃、私は勉強に対して全くやる気を失っていた。

もう勉強したくない。進学してまだ勉強するなんて無理、働きたい。妹の高校入学もありお金が掛かるだろうとも思った。

進路相談の際にやりたい事はあるか、何か関心がある事はと聞かれ、子供が虐待され亡くなるような事件をどうにかしたいと言ったら「カウンセラーの仕事はそういう人を救えるかもしれない」と勧めてもらった。

カウンセラーの仕事につく為にはどうやら学校に行かなければならない、すぐ諦めた。

横浜の大きな会場での合同面接会に参加した。

そこで出会った人たちと働きたいと思った。

横浜の美容室に就職を決めた。

ちなみに高3の夏休みはまるまる1ヶ月服屋でアルバイトをした。cocobongoというレトロサーフ系のギャルショップがあって、直接働きたいと言ったらその場で面接をしてくれて、夏休みだけ働かせてもらえる事になったのだ。

飛び込んだ町田店ではなく、原宿の竹下通り店へ。1ヶ月の定期代を親に前借りしてほぼ毎日店頭に立った。裏原に事務所があって、新作を担いで竹下通りを往復したり、たった1ヶ月なのにとても濃い経験だった。卒業しても働けるか相談したら、ショップ店員を続けてもあまり残るものは無いから辞めた方がいいよと言われたのだった。

学生編おわり。

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