‘民宿かいゆう丸’

生活

2020年1月20日、母の長年の夢だった民宿、かいゆう丸がオープンしました。

看板は私が書きました!

前から民宿やるよなんて言ってはいましたが、私は半信半疑でした。確かに母は働き者で、料理は島で一番だと私は思うし、周りの人もそう言います。私が幼いころから母は料理の仕事をしていました。好き嫌いの多かった私ですが、いろいろ工夫してくれて一つずつ克服し、今は好き嫌いなしです。ナスが嫌いだった私にナスのミートソースチーズ焼きを作ってくれて、それでナスが食べられるようになったのをよく覚えています。

問題は作る量なんですよね、とにかく多い、ボリューム満点。足りないと思ったことがない。

母は島のお弁当もやっていますが量が多すぎて笑えます。力仕事をしている人にはちょうど良いのかもしれませんね。普通の方は昼夜二回に分けて食べるそうです。お腹一杯食べてほしいから、だそうです。

私もお弁当作りを手伝うことがありますが「それも入れるの?!ふた閉まらないでしょ!!原価いくらなの?儲けあるの?馬鹿なの?」と最初は突っ込みが止まらなかったです。今は慣れました。

その調子で民宿をやるという事です。

料理ももちろんですが、とにかくパワフルで強くて逞しくて、優しく深い愛情を持った人です。

なので母の民宿は素晴らしいものになると思います。

前から民宿をやりたいと言っていて、1.2年前の事だったでしょうか、ほろ酔いの父から電話があり「俺はもうすぐ死ぬから、最後におかあの夢を叶えて死ぬんだ」なんてかっこつけた事を言っていました。民宿で、父の船「海遊丸」で釣った魚を出して、島一番の民宿にすると。

そして昨年の7月、私が一年ぶりに島に帰ると、実家の隣に民宿の基礎ができていました。本当にやるんだとびっくりしました。

一年ぶりの帰省、私はその後転職を控えていたので、しばらく帰らないつもりでした。一週間ゆっくり過ごし、東京に帰る前日の明け方、父が釣りに向かう準備をしている音をぼんやりと聞いていました。

海遊丸

その日の午前10時半ごろ、父は船の上で不調を感じ、母に電話をかけてきました。母が港の近くにいた人たちに連絡し、船を出し迎えに行ってもらいました。迎えが行く事を伝える為に折り返しかけた電話には父は出ませんでした。7年前に脳出血を起こしていたこともあり、すぐに緊急ヘリを手配してもらいました。

それから一か月後、民宿の土地の登記が終わった一週間後の8月26日、父は永眠しました。辛く長い一か月でした。

私が写真を撮りたいからと車を出してもらい、父と最後に見た夕日。車の窓に映る夕日の方が綺麗だと言ってた。

お骨を持って実家に帰ると、民宿の外観はもう完成していました。こんなに立派な民宿が出来たのに見ずに死ぬなんて、馬鹿だなぁと思いました。でも倒れてから一か月、希望は薄かったけど生きていてくれてよかった。もっと早く亡くなっていたら、母は民宿を諦めていたかもしれないですから。

そういったこともあり、意図せずして民宿かいゆう丸は大きな想いを背負った屋号となりました。

元々母はやる気に満ちていましたが、余計に躍起になっていると思います。私はそんな母が心配ですが、なんといっても私はヘタレなので役に立てるか分かりません。

私にできることは、かいゆう丸のお客様との架け橋になることくらいです。ホームページ作りました。

民宿“かいゆう丸” 青ヶ島
食堂

食堂は開放感があり、木の風合いがとても素敵です。釘が全く見えないので一体どうなっているのか私には分かりませんが、大工さんってすごいですね。ブルーグリーンの小物が多いです。

お風呂トイレ洗面台、洗濯機は男女別。新品で気持ち良く使って頂けます。

十分な広さがあり、1名でも2名でも泊まれます。TVエアコン完備。大部屋もあります。

まだまだ写真が少なくて申し訳ないですが、これから毎日の食事など、ブログやTwitterでも発信していきたいと思います。

当ブログTwitter @aogashimachan

かいゆう丸Twitter @aogashima_kaiyu

コメント

  1. げんさんの友達 より:

    民宿頑張って下さい 今度青ヶ島に行く時は泊めて下さい

  2. 鈴木守利 より:

    きょうはうれしいです!。
    青ヶ島の動画がたくさん見つかって。

    2014年から三度上陸したので、なつかしいです。

    かいゆう丸、開業!
    おめでとうございます!!

    おとうさんは残念だったですね
    でも、弟さんが船を引き継いだそうで、良かったです。

    もしかしたら、新宿でお目にかかっていたかも知れませんね。
    あの時は、たしか、民宿A(もんじのそばの)の娘さんが働いてましたよ。
    店長さんのともう一枚名刺をいただきました。

    民宿兼お店 ”S” の娘さんは一度だけ島で見かけました。
    今は東京にいるんでしょうね。

    十一屋さんのお孫さんも大きくなったでしょうね。

    もし東京で足が無かったら(必要でしたら)連絡ください
    竹芝でも、羽田でも、調布でもお迎えに行きますよ。
    いつもひまな爺さんですから。

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